沿革
清浄華院(しょうじょうけいん)は、浄土宗八総大本山の1つ、京都四箇本山の一つであります。一般には縮めて浄華院(じょうけいん)と呼ばれており、法然上人25霊場の23番霊場にもなっています。
清浄華院という名前は「浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所」という願いを込めて名づけられました。
浄土に咲く蓮の華のように、
清らかな修行ができる場所
- 創建―禁裏内道場
その歴史は古く、平安時代までさかのぼることができます。貞観2年(860)、時の天皇である清和天皇の勅願により、天台宗の慈覚大師円仁が"宮中(天皇の住まい)"に禁裏内道場として建立したのが始まりです。
当時は円(円教、天台のこと)・密(密教)・戒(円頓戒)・浄(浄土教)の四つの学問を学ぶ四宗兼学の道場であり、かつまた国家泰平と天皇陛下のご健康を祈る鎮護国家の道場でもありました。
- 改宗開山・法然上人
このため清浄華院では慈覚大師を創立開山、法然上人を改宗開山として仰いでおります。
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境内
清浄華院は御所の東、寺町広小路の一角に伽藍を構えています。現在地に移転してきたのは豊臣秀吉の時代、天正年間(1573~1592)になります。決して広い境内とはいえませんが、それは常に御所と京の町の人々と歩んできた歴史を反映しているともいえましょう。
境内には法然上人の御影(お像)をお祀りする御影堂(大殿)、阿弥陀堂(旧松林院)、大方丈、是心堂、不動堂などの諸堂が並んでいます。
また、境内西側には佛教大学別科「浄山学寮」があり、学生たちが修行にいそしんでいます。諸堂も法務実習に使われており、境内にはいつも彼らのお念仏の声が響いています。
平成十六年には介護老人福祉施設「つきかげ苑」が完成し、"福祉の本山"とも呼ばれています。
墓地には東山天皇母・敬法門院、桃園天皇母・開明門院をはじめ、江戸時代の歴代天皇の皇子・皇女の墓地があり、宮内庁の管轄を受けています。室町時代以降に帰依を寄せてきた公家の方々やその家司(家来)の方々、御所に出入りした地下役人などの墓も多く営まれています。
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宝物・逸話
清浄華院にはさまざまな宝物類が伝えられています。
法然上人や歴代の法主の筆跡や著作・遺品類はもちろん、人々の崇拝を受けてきた霊宝や仏画など、その内容はさまざまです。その存在は清浄華院の大本山たる由緒と格式を今に伝えています。
中でも、中国宋時代寧波の画家・四明普悦の筆になる絹本著色「阿弥陀三尊像」は、日本に現存する南宋仏画の白眉とされており、国宝に指定されています。足利将軍家の珍蔵品であったとされ、室町時代の清浄華院の栄華を伝える逸品といえましょう。
また、泣不動尊の物語を絵巻として描いた紙本著色「泣不動縁起」絵巻も、室町時代を代表する絵巻として重要文化財に指定されています。
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また、長い歴史を誇る清浄華院には様々な逸話が残っています。京都の町に住む様々な立場の人たちに親しまれた清浄華院にまつわる逸話を紹介します。
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